立春も過ぎて

あっという間に1ヶ月更新できずにおりました。

今年の立春は20日でしたね、普通は21日なのに、実は復活祭も3月31日と結構早めです。

この1ヶ月間に思ったこと、起こったことを。

まず、21日はRudyの1周忌でした。

旅立つ数時間前に撮った写真は…

なんの痛みも、心配事もなさそうですよね。

Ken,Hana,Enne,Ottoとともにあの世で駆け巡っていることでしょう。

彼らのお墓のあたりは水仙とジャーマンアイリスとシレネと…

これからも色んな花で覆われます。

なので、お線香だけを供えて来ました。

 

3月19日は、イタリアの父の日でした。

キリスト様の地上での父親は、マリオの夫で大工のジュゼッペさん、

3月19日は、そのジュゼッペさんに捧げられた日。

ということで…

しかも、パオロの最後の名前はジュゼッペ。

父の日プラス、同じ成人の名前の記念日。

なので、茶巾絞りを持ってお祝いに行ってきました。

事務所の面々も喜んで食べてくれました。

 

いつもは、ローマの事務所まで車で行くのですが、駐車場を探すのが大変だし、

時間的にも同じだとわかったので、今回は地下鉄の始発駅まで車で、

そこからは地下鉄で行きました。

 

始発駅なので座れるわけですが、最初に座ったところが優先座席だったので移動。

ただ、考えてみれば私も数え年で70歳、しかも軽いヘルニアやいろんな障害もあるし、

大きな顔をして座っていられたものを、自分ではまだ若い気でいるらしい。(汗)

 

途中下車して、何年ぶりかの「浜清」へ。

寿司ランチといくらとうなぎそれぞれ一貫ずつに熱燗でハッピー(笑)

出掛けに浜清のご主人に出会った。

お元気そうな姿を見て嬉しかった。

特に関係のない人だけれど、少し前に隣人を失ったのでそう思ったのだと思う。

 

その隣人とは、エリオさんと言って、住まいはセーニの上の町なんだけど、

我が家の隣に畑を持っていて、毎日畑と鶏の世話をしにやってきていた。

1月の終わり頃から姿を見なくなって、体調が悪いのかなと思っていたら、

娘さんたちが悲しい知らせを持ってやってきた。

お見舞いに行こうと思ったり、いつもの元気な姿だけをとどめておきたいような気もして、

結局一度もお見舞いに行かなかった。

しかも、なぜか彼は家にいるとばかり思っていた。

それが、末期には入院していて、未だに日に1時間だけ、

家族のうちの一人だけしか面会できなかったとか。

年老いた方が、健康を害したときに、一番望むことは家族に囲まれていることだと思う。

その願いを聞いてもらえないなんて人権蹂躙もはななだしいと思う。

コロナ架が虚像だったことは発覚しているのに、こういう処置を取るというのは、

病院側には便利なことだからなのか?

機械の修理ではない、人間の治療ということをもっと考えてほしいと思う。

自分の身に何かが起こったとしても、救急車だけは呼んで欲しくないと思ってしまう。

 

Keiko

italia-keiko.net

1985年、ローマに恋をして住み着いてしまった私。でも人の生活はどこでも同じ。 泣き笑いはどんな言葉を話していても同じ。だったら楽しく生きたいね。

立春も過ぎて」への2件のフィードバック

  1. そういえば、一番最初に電車で席を譲られた時はショックだったという話を、高齢世代の何人かから聞きました。
    突っぱねて座らなかった人あり、しぶしぶ(^^;)座った人ありでした。
    以前、通常の席は埋まっていて優先席だけが空いているバスに乗ったとき、少し高齢の人が、私はこっち(優先席)に座るからあなたここに座りなさい、と席を空けてくれたことがありました。
    そういう潔さは素敵だと思いました。

    1. はいはい、私譲ってもらえたら喜んで座らせていただきますよ。
      ただ、この日は何も考えずに優先座席から移動した自分が可笑しかったのです。

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