otto

なんと3ヶ月以上も配信できずにおりました。(メルマガのこと)
暑中見舞いや、残暑見舞いなども書き始めては中途で止まってしまって...


実は、7月27日にオット(我が家のメス猫)が、死んでしまったのです。
その後数日は、何も手に付きませんでしたが、やはり皆様にお知らせしなくては
という気持ちがいつも気持ちの片隅にあって、
それ以外のことを素知らぬ顔では配信できなかったのです。


でも、いざ配信しようとすると写真も載せたくて、
彼女が若かった頃の写真は、古いPCに残っていたので、それらの移動をしていると、
ついつい見入ってしまって、ヴィデオなども眺めていたら何日も過ぎてしまって、
でも、何よりも書き進まなかった原因は、
彼女が自然死ではなかったからかもしれません。

7月のある日、お隣が大型の機械で草刈りをした折に、
どうやら我が家との境界線の金網を破ってしまったようです。
その翌朝、朝の散水をしていると、見知らぬ大きな白い犬が1匹と、
小型犬が3匹我が家の庭にいるではありませんか!


”どうしたの、君たち。どこから来たの?”と言いながら、しっしと追い払ったのですが、
翌日もまた現れました。
この時点ではどこの犬たちなのかわかりませんでした。
野犬がたまたま金網の破れから入ってきたように思っていました。
夜間にも彼らが吠えているのが聞こえ、ニャンズたちのことを心配していましたが、
点呼を取るとみんな揃っていたので安心していました。


大型犬はマレンマという種の雑種のようで、
牧羊犬として使われるこの種は気が荒いので怖がられています。
我が家にいたKenとHanaもこの種だったので、私はさほど怖いとは思っていませんでしたが、
そばについている小型犬がやばいなと思いました。
小型犬は噛む子が結構いますからね。


もちろんすぐに金網の修理を頼んでいたのですが、
来てくれるまでに1週間程かかりました。
その間は、庭に出るのが不安でした。
我が家にはまた、野良猫のお客さんたちも常連さんが5匹ほどもいるのです。
ときには、台所のドアについている猫用の出入り口から勝手に入って
食事をして、帰っていくようです。
時々家の中で出くわすと、慌てて方向を間違えて
2階へ駆け上がったりするのもいて、てんやわんやすることも。


ある晩、その犬たちが、駐車してあるミニバスの下に向かって吠え立てていました。
そこに猫がいるであろうことは容易に察しが付きました。
でも、ミニバスの車高は低いので犬たちは入っていけないし、
おそらくは野良猫だろうと高をくくって放置しておきました。
野良猫たちのすばしっこさはよく知っていますから。


そして翌朝、


ミニバスの車体のそばに、オットの亡骸を見つけたのです。
何ということ!
可愛そうなオット!
私が犬たちを追い払っておけばよかったのに。
ただ、変に私がミニバスに近づくと車体の下にいるであろう猫にも恐怖を与えて、
せっかく隠れているのに、驚いて飛び出しかねないとも思ったのでした。
犬たちはそのうち諦めていってしまうだろうと思っていたのに…


可愛そうなオット!
すぐに亡骸を、Ken Hana Enne そしてRudyの眠っている
庭の東南の場所へ埋葬しました。
2007年7月27日生まれのオットは、なんと2023年の誕生日に逝ってしまったのです。
16歳は、猫としてはそんなに長生きではありません。


ここ数年白内障がひどくなってはいましたが、
まだ視力には問題なさそうだったし、娘たちよりも遊び好きでした。
2度めの出産時だったか、子猫にちょっかいを出しそうな
Kenの背中に飛びかかっていった勇敢なオット。


飛行中の鳥を捕まえようと、すごい跳躍をしたオット。


昼間はほとんど高い木の枝や、ガレージの屋根の上などから
下々を見下ろして、監視していたかのようなオット。


我が家に来る前の約3ヶ月、Barで飼われていたせいか
パンが大好きで、魚と並べておいたらパンを選ぶ変わった猫だったオット。


メス猫なのに、男性の名前を授かった2代目のオット。


真冬は、首の周囲の毛が、まるでフォックスのショールを巻いたかのような
気高く美しかったオット。


人を怖がらず、誰にも愛されたオット。


2度の出産を一人で立派に成し遂げたオット。


出産後も一番スマートだったオット。


我が家の4つ足たちのリーダーだったオット。


そんなあなたを救ってあげられなかったマンマを許してね。

オット

 

以上は昨晩、メルマガに配信した記事のコピーです。

冒頭にあるように、私はメルマガを読んでくださっている方々お一人ずつに

メールを書く気持ちで発信しているので、心の隅にわだかまりがあるとなかなか書けないでいたのです。

もちろん、このblogも同じです。

見に来てくださる方々お一人づつにお話する気持ちで書いているので、

まぁ、メルマガに比べると配信の方法が簡単なので、多少の更新はしましたが、

やはり、いつオットの話をしようかと思い悩んでいました。

言ってしまってホッとしたというか、これからはこちらももう少し頻繁に更新することができそうです。

 

Keiko

italia-keiko.net

1985年、ローマに恋をして住み着いてしまった私。でも人の生活はどこでも同じ。 泣き笑いはどんな言葉を話していても同じ。だったら楽しく生きたいね。

otto」への4件のフィードバック

  1. あの人懐こいOTTOが!!!
    自然死でない事でKeikoさんがどんなに悔やんでいるか・・・
    他の四つ足さんたちと一緒に葬れた事で安堵するしかないですね。
    沢山居た四つ足さんたちのなかで唯一馴染んでくれたOTTOでした。
    Keikoさん余り落ち込まないで元気になって下さいね!

    1. Yuko さん、ありがとう
      もう大丈夫よ。
      だからお線香持ってきてもらったの。

  2. 16年前は黒い玉のような子だったのでしたっけ?
    今はEnneちゃんと一緒なのでそれほど寂しくもないでしょう、きっと、うん。
    ふさふさで大人になっても可愛らしさを持ち続けたOTTOちゃん、会ったことがなかったけれど、私きっとずっと覚えてるわ。
    天国でRudyくんと仲良くしてるといいな。

    1. 加藤さん、ありがとう
      覚えててやってください。

      Rudyとはよく背中合わせというかお尻合わせでソファに座っていましたっけ。
      天国ではRudyのほうが先輩だから、きっと力もほぼ均衡していることでしょう。(笑)

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