ベロニカの君、Gino
本当は、丸っこい体格でベロニカの君なんて似つかわしくないかもしれないけれど、
小さな小さなベロニカの名前を、覚えていてくれた繊細な人。
若い頃から歌が上手で、地元の様々なパーティーでは引っ張りだこだったとか。
Fiuggiの街の黄金時代、裕福なアメリカ人たちがたくさん来ていた頃、
Ginoの歌を聞いたアメリカ人が、アメリカへ来るようにと何度も誘ったのだとか。
ゴルフをしながらも、よく歌っていたっけ。
明るくて、ゴルフが上手で、
糖尿病が悪化して足の指を切断しなければならなかったけれど、
それにも打ち勝って、またゴルフを楽しんでいたのに…
奥様がコロナに感染して、それをもらってしまって
入院したら3日後に、脳梗塞になってしまったそうで、
それ以来ずっと入院したまま、22日の午後に旅立ったらしい。
妙な話だけれど、22日、ゴルフを終えて、車に乗ろうとしたときに、
ふと、3台並んでいた赤い車の真ん中の車がGinoの車に思えて、
(あれ?GINO)と、ふと思ったのでした。
よく見ると、それはもちろんGinoの車ではありませんでした。
もしかして、旅立ちを知らせに来てくれたのかな?
Ginoやすらかに。
決して忘れないよ。
特に、ベロニカの花の咲く頃は。
Keikoさん、また素敵なゴルフ仲間が亡くなったのね。
寂しいね・・・
亡くなった日にGinoさん?って思えたのはきっとお別れに来たのね。
いつまでも忘れない事がご供養だと思います。
今回は、お葬式には行きませんでした。
泣き虫の私は、また大泣きしそうだったから。
Enzoのこともね、未だにちっとも忘れられないのよ。
悲しいね…
まわりでコロナで亡くなった人がいないけど、今まで普通に話してた人に突然会えもしない話もできないなんて。
先日新聞でメメント・モリ協会の記事が出てて、それを読むうちに母が亡くなる何か月前からのいろんなこと、亡くなる直前のことが思い出されて、亡くなってから一番泣いたかも。
後悔ばかりだけど、それを抱えて生きて行かなきゃね、そしていつの日か近い将来私も同じ場所へ行くんだ。
父と母が迎えに来てくれるかな…
コロナそものもは怖いものじゃないけれど、
既往症のある人にはやはり重いよね。
糖尿病は、中でも最も危惧されるもので、
最終的な死因を聞いてはいないけれど、
やはり糖尿病が一番の原因のような気がします。
その、糖尿病に一度は、2−3年かけて打ち勝って戻ってきた彼だったので、
今回もきっと、と思っていたのでくやしいです。
お花の話だと思ったら・・・
悔しいね、残念です。
この歳になると、お別れも増えてきたけど、コロナは不意打ちだよね。
ふっと、あれGino?と思ったのは、やはり会いに来てくれたのだと思うよ。
>ふっと、あれGino?と思ったのは、やはり会いに来てくれたのだと思うよ。
私もそう思います。
時々思い出していたけれど、特にあの日
彼のことを誰かと話したわけでもないのに…
ま、入院してから長かったので、
多少は心の準備ができていたので
Enzoのときほど、ショックは大きくはありませんが、
まだまだ一緒にラウンドしたかったです。