メルマガ 13-2019 電話の変化

実は、私はこのメルマガの他に、

「 出たっきり邦人」まぐまぐより発行されている 殿堂入りマガジン の

【欧州編】にも昨年の早春以来コラムを書いています。

 

これまでに書いたもののコピーは 受け付けてはくれないのですが、

内容的には同じでも 新しく書き下ろしたものでさえあれば OK なので、

このメルマガをご覧の皆様方には、

すでに読んだ内容と同じようなのものが届くのもどうかと思い、これまで紹介しませんでしたが、

まぐまぐでは今年から過去の記事を見ることができなくなってしまったので、

もしかしたら途中から登録してくださっている方にはお役に立てるかもしれないと思い、

今回ご紹介することにしました。

 

同じ内容でも、時間が経てばこちらの気持ちも周りの状況も違ってくるし、新たな気持ちで書いています。

欧州編ということで イギリス·フランス·オランダ·ドイツ·スイス、

そして少し変わったところではエストニアから、それぞれ在住のみなさんが執筆されています。

よろしければこの期に、そちらへの登録もお願いします。

まぐまぐでの ID は 0000023690 または「出たっきり邦人」【欧州編】で検索できます。

 

さて少し前置きが長くなりましたが、

今日は先ほど出たっきり邦人に書いたばかりのコラムを違う視点から書いてみたいと思いました。

それは私が体験してきた電話の変化です。

 

イタリアではアフリカ諸国と並んでいち早く携帯電話が普及しました。

なぜならアフリカ諸国には大都市でないと電話そのものが無かったし、

イタリアでも公衆電話に関しては、 同じような状況だったからです 。

 

日本では街の至る所に公衆電話があり、それらは全てちゃんと機能していました。

でもこちらでは、地下鉄の各駅に1台か2台 あるかないか、

そして、あっても故障がほとんどで使い物にならない状態でした。

ですから家を出ると、 電話をかけるのがとても難しかったのです。

 

やがてまず車に設置する電話ができました。 観光業の我々としてはそれは大きな朗報でした。

通話料は目の玉が飛び出るほど高かったのですが、 それでも とてもありがたく思ったものです。

そうするうちにブリーフケースぐらいの大きなバッテリーを備えた、いわゆる携帯電話ができました。

 

当時はまだこちらの電話会社は公社であり特権を独り占めのような状況でした。

電話を扱うところなのに、電話では設置の申し込みはできず、

公社に出向いて何時間も待たされた挙句に、やっと手続きを終えたかと思うと、

それから何週間も時には何ヶ月も待たされて、やっと電話線が届いたものです。

 

90年代の初頭だったでしょうか、電話事業が 民営化され、

ヨーロッパの各地からも電話会社が入ってきました。

その頃から、携帯電話そのものも 電池を内蔵したものになり、

とはいえ今の家庭の据え置き電話の受話器ぐらいの大きさがあって、

ポケットなどには収まらない 大きさでした。

 

そんな中で、街のショーウィンドウでSONYの携帯電話に出会いました。

それはとても小さくて シガレットケースほどの大きさでした。

値段の方はとても高くて、 普通のサラリーマンの月収の2倍ほどはしておりましたが、

どうしても欲しくて清水の舞台から飛び降りたのでした。

 

その後も、携帯電話をよく使う同業者たちの中でも、同じ電話を持っている人には出会ったことがありません。

おそらく、あまりに高価だったので、普及しなかったのでしょう。

でも性能は抜群でした。 何より女性用の小さなポシェットにもすっぽりと治ってしまったのですから。

 

2005年頃だったでしょうか、車を新しくした時 MAZDA II(ドゥーエ)、

日本ではマツダデミオという車を買いました。

その車には専用の電話の受信装置が付いており、 それはソニーエリクソンのものでした 。

つまり、まだあの頃携帯電話の中でも、ソニーの名をしばしば耳にしていたものです。

それがどういうことでしょうか、最近はさっぱり聞かなくなりました。

 

つい 1ヶ月ほど前に スマホを新しく買い替えたのですが、 わが町の小さなお店には選択肢はたったの三つ。

Huawei と Xiaomi とそしてサムスンだけでした 。

中国製のものは、データの漏洩 と言う 不安がよぎるので避けることにしたら、 残りはサムスンのみ。

あの素晴らしかった日本製の携帯電話は、 どこへ行ってしまったのでしょう?

この辺りで奮起して 日本製の、小型で使いやすくて性能の良い携帯電話が、

ヨーロッパにもやってきて欲しいものです。