メルマガ 21/04/14 Matilde

 

N.007    Matilde




2年前の5月は、雨が多く 寒くて

人々は1月よりも 暖房費がかかったと 嘆いていました。

今までに経験したこともないような 、妙な月でした。

いつもなら 5月は 、 バラが咲き誇りアカシアの香りも 素晴らしい

一年でも最も心躍る月のはずなのに、その5月に 主人の叔母が 亡くなりました。

主人の母は4人姉弟の長女で、 すぐ下に 妹が そして弟が、

彼らはすでにこの世にはなく 、2年前に逝ってしまったのは

最後に残った 一番年下の叔母でした。

彼女は小学校の教師をしていました。

随分若い頃、車の免許も取って モダンな女性でした。

<隣町の男性と結婚をして 、教師を辞めた後も

また何年かして、やはり学校の 庶務を 司っていました。

こちらの学校では、父母等が直接教師達と 話をするのは、成績のことばかりで、

後の事務的なことは庶務担当の人たちが窓口になるので、勢い彼女も 多くの人に知られていました。

小さな町なので 、彼女が歩くと 絶えずいろんな人たちから声をかけられ

思うように動けないほどでした。

とびきりの美人で、とっても明るい性格の彼女は甥っ子たちや 孫たちからも慕われていました。

私の住む小さな町には、30年前にはまだ外国人はごくわずかしか住んでいませんでした。

中国人 ポーランド人 アルバニア人ぐらいで、日本人は今でも私独りだけです。

そんな珍しい 遠くから来た私を、Matilde(マティルデ)は最初っから

両腕を大きく広げて 大歓迎してくれました。

そもそも主人は、ごく若い頃に離婚していて

長い間 ひとりもので、いつも違ったガールフレンドを

叔母に紹介していたから、彼女も どんな人が来ても驚かない

下地ができていたのかもしれませんけれど。

マティルデの家族もみな気さくで親切な人々、

ご主人は、とても恥ずかしがりやさんで、

最初の頃は、私と話すときに真っ赤になっていたと

あとで主人から聞いたことがあります。

子供は、長男とその下に双子の男子と

最後は、金髪のくせ毛がきれいな女の子がいます。

長男は、利発で父親とそっくりな顔をしていて、

双子は、元気いっぱいで、毎朝 起こしもしないのに

6時頃には起きてしまうほど、毎日の生活が楽しくて仕方がないという様子でした。

金髪さんは Eと呼ぶことにしましょう。

Eさんは、みんなのお人形のような存在で、

特に長男と仲がよく、双子対彼らのコンビでよく言い合いをしていたっけ。

私の姑たちは、ローマの中心部に住んでおり、

マティルデは、車で10分ほどの隣町に住んでいたので、

特に私が妊娠中には、色々と助けてくれて、

夕食も よくご一緒させていただきました。

イタリアの家庭料理を教えてくれたのは、

若い頃 小さなレストランを営んでいた主人の他には、

このマティルデおばさんでした。

息子が生まれてからも、何かにつけて助けてくれました。

誰も頼るもののいない私には、お向かいに住んでいた

ナンダさんとともに、とても頼りになる存在でした。

あの頃は生活が苦しくて、幼い息子を彼女達に託して仕事に行きました。

息子は初歩きをしたのも、マティルデの家ででした。

マティルデの息子たちは、

順調に成長してそれぞれが連れ合いをもち、孫が増えていきました。

学校を退職して、少しはゆっくりできるかと思ったら

孫達の世話を毎日看る、忙しい日々でした。

イタリアの子育ては、祖父母抜きでは成り立たちません。

幼稚園だけではなく、小中高と通学するようになっても 

ほぼ半日だけの授業ですから、スクールバスもあるけれど

多くは祖父母が迎えに行きます。

明るくて 心配症で 声の大きなマティルデ。

孫達みんなが、母親よりも彼女を慕っていました。

葬儀のときに、最初の孫が弔文を読みました。

どんなにかマティルデを慕っていたか、

その死が本当に受け入れられないものであることを、

真摯に語った彼女の言葉に、皆がさらに涙しました。

マティルデのことを、もっと違った形で

彼女の明るさだけを、もっともっと話したかったのに

なんとなく寂しい内容になってしまいました。

もしも、今日のこの妙な世の中をマティルデが見ていたら

なんと言ったでしょうか。

2021年 04月 14日 Keiko