■□■ 出たっきり邦人 2020・10・27 1748 ■□■

 

      〓ローマの田舎町から〓

       Enzoの死

 

今回もまた、極めて個人的な話になってしまいますが、

その背景からイタリア人を少しでも理解していただければと思います。

 

Enzoは、仲のいいゴルファーでした。

彼は2歳年上で、テニスをやっていたせいか、

私より5年ほど後にゴルフを始めたにもかかわらず、

すでにハンデキャップでは追い抜かれてしまっていました。

でも、始めた当初から知っていたので、よく一緒にラウンドし、

公式コンペなどでも、カップルの試合では一緒に出場して、入賞もしたものでした。

 

イタリア語に、Disponibileという言葉があります。

ものであれば、利用可能といいましょうか、銀行からある金額を引き出すとして、

その分の預金があれば、Disponibileなのです。

人に関しては、何かを引き受けてくれるといったらいいでしょうか?

彼は、いつも誰かの役に立っていました。

機械類に強く、研究熱心なので、友人たちのゴルフクラブの改善や、ゴルフカートの修理や、

クラブハウス内でのなにがしかの修繕にもボランティアで参加していたものです。

また、ロストボールを見つける天才で、彼の部屋を知る友人の話では、

大きな大きな入れ物に、拾ったロストボールが銘柄ごとに沢山保管されているということでした。

一緒にラウンドしていても、本当に目ざとくボールを拾ってくるのには驚きでした。

そして、私には惜しげもなくプレゼントしてくれたものです。

 

2017年、イタリア自動車協会開催のチャンピオンシップで、

彼はかなりいい成績であがっていて、すでに奥様にも電話でそのことを伝えていたにもかかわらず、

最終組の出発だった私が、わずか1点、彼のスコアを上回り、IBIZA島へのチケット(1週間滞在のバウチャー)を獲得したのでした。

その時の悔しがりようといったら。(笑)

でも翌年、同じコンペで、見事彼が優勝し、ギリシャのクレタ島へと旅立ったのでした。

そして、私にはクレタ島の帽子を買ってきてくれました。

彼の仕事は、(私は多くのゴルファー達の職業を知りません。

芝生の上では皆同等。大会社の社長であれ、ECの議会へ参加する議員であれ、

テレビで拝見する顔であれ、小さな修理工場に務める若者であれ、

私のような専業主婦であれ、皆同等だと思っているので、

特に話題に登らない限り、こちらから職業を聞くことはありません。)

でも、彼の職業は割と早くから知っていました。

彼はイタリアではとても有名な乳幼児専門の商品を扱う会社の

営業マンと言うか、仕入れ業者だったようです。

その会社名がChiccoというので、彼のあだ名も「キッコ」でした。

Chiccoには、小さな男の子、可愛い子と言うような意味合いがあり、

いつも感じの良い彼にはそういう意味で使われていた感もあります。

つまり、本当にみんなから愛されていた人なのです。

 

 

先週の水曜日でした。

その日、パッティンググリーン近くで出会った彼に、

「さぁ、行こう!」と、声をかけたら、

「12時に友人たちとの試合があるんだよ。」

ということで、別れたのでした。

私はシルビオさんという方と一緒にラウンドしていて、

15番ホールのグリーンに差し掛かった所、

大きな池を挟んだ向こう側の6番ホールの途中に、

3台ものゴルフカートが止まり、通常4人までしか一緒にプレーできないのに

沢山の人がいました。

アプローチを終えた私がシルビオさんに、「どうかしたの?」

と尋ねると、「だれかが具合悪いらしい。」

そこへカートで通りがかった若者に、「誰?」と

離れていたので、声を出さずに口真似で聞いた所「キッコ」

Noooooooo!

 

もちろん、どなたが具合悪くてもお気の毒だけれど、

Enzoは、まだ若い!今じゃない!彼の番じゃない!

そう思いながら対岸をよく見てみると、誰かが心臓マッサージをしているところでした。

イタリアには、そういう心得を持った人が格好います。

うちのPaoloも、いわゆる2種免を持っているので、

規則により、講習を受けて人命救助の免許を持っています。

 

その頃には救急車のサイレンも聞こえてきましたが、なかなかその姿は見えません。

先の若者が待機していた裏門からではなく、

正門から入って、ずっとゴルフ場を駆け抜けてきたようです。

 

救急隊員も、同じように心臓マッサージを続けています。

そのうちに更にもう一台の少し大きな救急車がやってきました。

中から、おそらくは電気ショックを与える機械などを持ち出していましたが、

心臓マッサージが止むことはありませんでした。

 

当初私は、Enzoが目を覚まし、病院へお見舞いに行って、

皆で大笑いしながら、その時の光景を話しているところを、想像していました。

でも、なかなか救急車に乗せられて搬送されない光景に、

最悪の事態を想像せざるを得なくなっていったのでした。

 

後ろを通り過ぎる人たちも、「時間がかかり過ぎだよね。」などと話していたし、

一緒にいたシルビオも、「そろそろ行こうか。」と言い始めるし…。

ついにEnzoに白い布がかけられた時には、ひどい脱力感に見舞われ、

それまで我慢していた涙が溢れました。

 

今思えば、澄み渡った秋の空から、神の手が伸びてきて

Enzoの魂を鷲掴みにしていったような光景でした。

かの地で、どうしてもEnzoの力が必用で、

いつもDisponibileだったEnzoが選ばれてしまったような気がします。

 

6番ホールでの彼の最後のショットは、それは見事なものだったと

同行していた古くからの友人ロベルトは語っていました。

ロベルトとは、テニス時代からの長い付き合で、彼自身外科医でした。

その時のロベルトの心境を思うと、またそのために涙が流れるのでした。

 

その日、ゴルフ場にいたすべてのプレーヤーがラウンドを止めて、

クラブハウスに集まってきました。

殆どの人が、Enzoと仲の良かった私に、慰めの言葉をかけてくれました。

そうされればされるほど、悲しみがこみ上げてきて、涙を抑えることができませんでした。

 

イタリアでは、はやくても死後24時間経ってから葬儀となります。

おそらく日本でも同じでしょう。

その他に、教会の空き時間や、遠くに住む親族のことや

おそらくそういったいろいろなことを考え合わせて葬儀の時間が決まるのでしょうが、

Enzoの葬儀は、金曜の午後3時になりました。

 

木曜日は、家で、ひとりで酒盛りをして彼を偲びました。

金曜日、喪服を探したのですが、見つかりません。

これまで使うことがなかったので、果たしてこちらに持ってきたのかも定かではありません。

絽の喪服だけが見つかりました。

10月、日本ではもう絽を着ることはできませんが、

幸いこちらでそのことを知るものはなく、私はどうしても自分の気持ちを伝えたくて

下着を着込み、ウールのストールをもって絽の喪服で参加しました。

幸い、好天気でストールも使わなかったほどです。

 

もしも、ロックダウンの頃だったら、葬儀にも参加できなかった。

そう思うと、まだしも参加できただけ良かったと思います。

葬儀は、彼の住んでいた町のカッテドラーレ(その町で一番格の高い教会)で、

執り行われ、教会前の広場には彼を慕う人たちがすでに集まっていました。

 

教会内は、セーフティディスタンスをとるために、

普段は4,5人がかけられる長椅子に、ひとりかふたりという状況でしたが、

運良く私にも席が見つかり、参加しました。

私は信者ではありませんが、すでに何度もこちらの葬儀には参加しています。

十字を切る代わりに合掌しますが、気持ちは通じると信じています。

 

葬儀にもシルビオさんが連れてきてくれたのですが、

彼は「外で待っている」とでていきました。

教会の形ばかりのセレモニーを嫌うイタリア人が結構いるのです。

外で待っていても、ずっとその時間を共有しているのですから

死者へのリスペクトが足りないわけでは決してありません。

もしかしたら、コロナの感染を恐れていたのかもしれませんが。

 

葬儀が終わり、棺が教会からでていく時に、棺に触れることができました。

もう、涙が止まりません。

そこへ、Enzoの奥さんがやってきて私の肩を抱いてくれました。

奥さんとは、そんなに何度も出会ったわけではありませんでしたが、

カップルで優勝したときなどは、本当に喜んでくれていたものでした。

お互いの気持ちが、こみ上げてくる涙で、身体の震えで伝わり、

一言も言葉をかわさなかったのに、

それこそ、お悔やみも言えなかったのに、よーく分かり合えた瞬間でした。

ひとしきり、二人で泣いた後、棺は火葬場へと向かいました。

 

最近は、こちらでも火葬がほとんどです。

その火葬場の機能が伴わなくて、ローマあたりでは何日も待たされるのですが、

今回は、後か不幸かわりと近くに大きな火葬場があり、

最新の設備で丁寧に対応してくれるということで、

そういう話にも一喜一憂する私達でした。

 

そういう話をしているところへ、ひとりの女性が近寄ってきて、

「あなたはEnzoの友達ね?ゴルフ仲間なんでしょ?

Enzoから、あなたの話はよくうかがっていたわ。」と話しかけられてまた号泣。

 

今も、書きながら涙がこみ上げてきます。

私は、二十歳で母を失い、27歳で、父を見送りました。

もちろん、彼らの死の痛みを忘れることはできません。

それ以前にも、伯父や叔母達の葬儀、

イタリアに来てからも、両姑の葬儀や、友人のご両親、

そして、友人の葬儀にも参加していますが、

今回は、特別でした。

こんなに親しい友人の死は初めてです。

しかも突然。

数時間前に言葉をかわしたばかりだというのに。

一週間ほど前に、私の誕生日にと、ひと袋のゴルフボールをプレゼントしてくれたばかり、

そして、3月始めロックダウン直前に、私の住む街のレストランで

二人で昼食を取り、手長海老のリゾットが偉く気に入ったので、

「また行こうよ、今度は僕がおごる番だからね。」と言っていた矢先の出来事。

 

受け入れるには、まだもう少し時間がかかりそうです。

あれ以来、まだゴルフにはいけないでいます。

10月25日   Keiko

 

 

 

 

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スイス・チューリヒから、きいろさんです。ご期待下さい。

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