出たっきり邦人 1637 ナポリ

      〓ローマの田舎町から〓

今日の話題は、ナポリです

 

日本から友人がやってきました。

ローマの空港で出迎えて我が家の近くのホテルで一泊、

今日はナポリへ送っていきました。

ローマからナポリへは直行の特急列車が走っているので、

ふつうローマからナポリへ行こうとお思いの方は

フレッチャロッサと呼ばれる特急をお使いになるのが

時間的にも便利さから言っても最善の方法だと思います。

でも、友人は我が田舎町や、我が家の猫たちを見たいと

この田舎に寄り道をしてくれました。

便利さから言えばここからでもローマに戻って

先程の特急で行ったほうがいいのでしょうが、

車で行けばおしゃべりの時間が取れると思い

我が家から直接車でで行くことにしました。

かつて私は1986年から1998年までこの地で観光ガイドを

していましたので、

ナポリへも多いときには週に3回も行っていました。

ナポリはギリシャ人たちが「新しい都市」という意味の

ネア・ポリスと呼んだことからナポリとなったように

ギリシャ人達によって建設された街。

イタリア半島は今でこそ北イタリアのほうが経済的にも

インフラ的?にも進んでいますが

実は南イタリアが先に文明の洗礼を受けたのです。

ただ。。。。。。

その美しさのせいでしょうか?

もしくはその立地条件のせいでしょうか?

様々な国々、様々な人種の統治者のもとに

何世紀にも渡って支配され続けてきたナポリの市民達には

何かとても刹那的な性格が備わったように思います。

統治者たちに逆らいはしないけれど、

決して心から信じてはいない、

明日はどうなるのかわからないのだから

今日を楽しく生きようというような…

現代に至っても、シチリアのマッチャンと同じような組織

カッチャンという組織があって、様々な問題を生んでいます。

(マッチャンもカッチャンも

日本のヤッチャンと同様の組織です。)

さてそのナポリ、現代の一番大きな問題は交通の混雑です。

私が仕事から退いて20年の月日が流れています。

その間にイタリアの様々な地域で少しづつ

本当に少しずつではありますが改良が見られます。

道路はかつての交差点に信号という形から

殆どがロータリーになって、信号待ちが不要になり

車の流れが良くなったように思います。

そして今日、20年ぶりに行ってみたナポリは

20年前と寸分違わない、車の数が増えただけ混雑が悪化した、

道路事情も運転マナーも全くあの頃のままのナポリでした。

仕事では私は観光バスの助手席に座っていただけで

運転手さんの嘆きに耳を傾け、時々ドキッとしながら

街の様子を見ていただけでしたが、今日自分で運転してみて

本当にカオスそのものだと実感しました。

信号は多くの場所で点滅しているだけで

その様をなしてはおらず、

ちゃんと作動していても交差点がいつも車で埋まっていて

結局はあってなくが如し。

青信号でも進めない。

赤信号でも車の前に少しの隙間ができれば前進。

その車の間をスクーターや歩行者たちがすり抜ける。

今日はそこに追い打ちをかけるように時折強い雨が降り

カオスはまさにその名に恥じぬ様相でした。

でも…

ナポリは本当に魅力的な街でもあるのです。

かつて、高速道路ではなく昔のドミツィアナ街道から

山越えをしてナポリ湾を見たときには涙が出ました。

それくらい感動的な美しさなのです。

「ナポリを見て死ね。」という有名な言葉があります。

ナポリを見ないでは死んでも死にきれないというわけで

丘の上からのナポリ湾、その足元に立ち並ぶ小奇麗な建物群、

向かい側にはヴェスヴィオ山、降り注ぐ太陽。

おそらく世界中の人々が「イタリア」という言葉を聞いて

まず想像するのはそういう風景なのではないでしょうか。

また、あくまでも陽気なイタリア人というのも

このナポリ人たちの印象でしょう。

実は今日もそんなナポリ人に救われました。

わずか数キロを小一時間もかけてやっとたどり着いた

友人が予約したB&B、駐車する場所など夢のまた夢、

と思いきや、一台の車が移動して場所が空いたのです。

そこをすぐに私に指示して、「ここに止めなさい。」

と行ってくれた若者。

B&Bの正確な場所も教えてくれて地獄で神に出会ったとは

まさしくこのことだと思いました。

「実はここは財務警官の駐車場なんだけど。」と彼。

2分ほどで行きますから」と私。

「ああ、なら心配ないよ。」

その言葉がどんなにか安堵感を与えてくれたことでしょう。

彼はただの市民なのです。

財務省の人でも何でもないのです。

ただ、困っている外国人のために

外国人でなくても、

力になってあげることができたらそれが嬉しい。

そういう人がいるのです。

私は嬉しくて近寄ってぎゅっと握手をしました。

名前も知らない彼、きっとあしたも誰かに

今日の私と同じ思いをさせるのだろうと思います。

Keiko

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