一昨夜、マイケル・ジャクソンの葬儀の模様をテレビで見ました。
イタリア時間に合わせたように午後の7時から始まりました。
夕食の支度などで最初のほうは見逃したのですが、8時ちょっと前から最後までじっくりと見ました。
というか間接的参加をしていたつもりです。
生前は特に彼の大ファンということはなかったのですが、
次々と繰り出す彼のミュージックヴィデオには、目をみはらずにはいられませんでした。
彼の訃報はショックでした。
つい最近、ロンドンを皮切りにしたツアーの発表があったばかりだし、とにかくまだなくなるには早すぎたと思います。
彼が音楽界に残した偉業はそのレコードの売り上げが正直に語っていると思うし、エンターテイメント界全般に大きな足跡を残した方だと思います。
あのムーンダンスはこれからも消え去ることはないでしょう。
コンサートの舞台のショーアップもいくつも画期的なアイデアが生まれています。
彼がもしも病気ではなかったら、その偉業はもっともっと賞賛されていたことでしょう。
残念ながら彼はいくつもの難病を抱えていました。
詳しくはこちらのblogをご覧ください。
直接生死にかかわるような病気ではないにしても、
いや、だからこそ生きていくうえでは悲しいほどつらい日々だったのではないでしょうか?
しかも家族の応援がまったく見られない状況下で。
彼の葬儀で親友だったブルック・シールズがマイケルの素顔を語っていました。
人を笑わせることが大好きで、子供のようないたずらや冗談ばかりしていたこと。
自分たちをおかしなカップルと人はいっていたけれど、ちっともおかしくなんかない。
どちらもごく小さいうちから芸能界という特殊な世界で生きてきて、
いつも衆目の中でいることに我慢しなければならなかった。
「でもあんたなんかまだいいわよ5歳ぐらいからなんだから。
私なんて生後11ヶ月からなのよ。(笑)」なんて軽口をたたいていたのだと。
何かほっとさせるコメントでした。
怪物のように報道されていたマイケルの人間的な一こまが垣間見られたような気がしました。
ほかのかたがたは口々にジャクソン家の団結、
みながどれだけマイケルを愛していたかというような話に終始していましたが、
マスコミがマイケルをいろんなことで追っかけまわしているときに
一度たりとも家族が彼をかばっているところを見たことがあったでしょうか?
マイケルは自分の病気のことを誰にも隠してはいなかったそうですから、
肌がどんどん白くなって見えてきたときにも家族がそろって援護してあげればよかったのに
さまざまな憶測が飛びかうままにしておいたなんて。。。。
孤独なマイケル。
そしてもっと私をしらけさせたのは数人の宗教家たちのコメント。
彼らはどんな場所も自分たちの意見をアピールする場所にしてしまうのですね。
マイケルと同じ黒人の歌手が、
「マイケルのおかげで自分たちの働く場所が広がった。」といっていましたが、
それは事実でしょうし、実体験を述べているので共感できました。
ルイ・アームストロングやサミー・デイビスJr.や過去にもさまざまな人たちのおかげで少しずつ
黒人の芸能人たちの働く世界が広がり、社会的な地位も確立してきたのだと思います。
でも、宗教家たちはこのときとばかり、社会を告発していた様に思います。
マイケル、その人を偲ぶという追悼の会にはふさわしくない演説だったと思います。
最後の最後にお嬢さんが話し始め「パパは私が生まれたときからずっといいパパだった。」
ここで涙で言葉が途切れてしまい、やっともう一言「パパ、大好きだよ。」と付け加えました。
そして叔母たちに囲まれて姿を消しました。
あのマイケル・ジャクソンの父親としての姿は容易には想像できませんが、
きっと自分のような特殊な子供時代ではなく、
ごく普通の子供でいられるように気を使って、守っていた父親なんだろうなと思います。
また、彼ほど多大な救援活動をした芸能人もいなかったといわれます。
黒人だけでなく、いろいろな少数民族たちの存在を世界に訴えかけ、援助していました。
肌の色はもとより、宗教や生活習慣の違うみんなが一緒に集まれる機会を何度も作り、
本当の世界平和を夢見た人でした。
私自身、マスコミの報道に惑わされ続け、彼のことを誤解していたので、
今、ほんの少し彼の姿をよくみてみようと思ったのです。






